「ルース・スレンチェンスカ84歳~豊饒なる未知の”ブラームス・ワールド”へ」

三船文彰

2009年6月、ルース・スレンチェンスカはブラームスの30曲のピアノ曲集を録音するため、第7回の来日を果たした。2003年4月の初来日から2005年1月の「80歳記念ラスト・コンサート」までの間の4回の来日で、数十回のコンサートを岡山で開き、その驚異的な演奏が8枚のライヴ・レコーディングCD(「ルース・スレンチェンスカの芸術」Ⅰ〜Ⅳ)として残るなど、ピアニズムの頂点を極めた満足感に安堵していたルース・スレンチェンスカは、その後の4年の間にさらなる創造の苦難の道を歩まなくてはいけなかったとは、恐らく夢にも思わなかったであろう。

実は、2005年のラスト・コンサートのあとでも、ルース・スレンチェンスカにブラームスの後期のピアノ曲集を録音してもらいたいという希望を私は持ち続けていた。しかし、90歳まで残るであろう人生最後の10年間を楽しもうと宣言していた彼女は、興味を示すことはなかった。ところが、2006年の夏にクララ・シューマンが演奏したピアノを私が所有、修復することとなり、同時にそのピアノを使って、岡山県北の山頂にある樹齢千年の醍醐桜への奉納演奏を引き受けたことで、ルース・スレンチェンスカはクララ・シューマンと一番縁の深いブラームスの曲を演奏せざるをえなくなったのだ。そして多くの困難を乗り越え、2007年4月の奉納演奏が奇跡的な成功を収めたことで、ルース・スレンチェンスカはあらためてクララ・シューマンのピアノで、シューマン夫妻とブラームスの曲集をレコーディングする意慾に火がつき、その結果、その年の11月の再来日レコーディングが「ルース・スレンチェンスカの芸術Ⅴ−クララ・シューマンに捧ぐ」の一枚もののCDとして結実した。その時、私が所有するもう一台のスタインウェイで、ブラームスのOp. 117, 118, 119, そして、Op.79(2つのラプソディ)の録音も実は同時に完璧に出来ていたが、CD制作の最後の段階にきて、「私はもっといいように弾ける!ブラームスをもう一度録音したい!」との巨匠の自らの鶴の一声で、ついにOp. 76とOp. 116をも加えて曲数が2倍の30曲に、そして困難さが数倍も増すこととなるブラームスのピアノ曲集録音へのルース・スレンチェンスカの挑戦が、再び始まってしまったのだ。


私は、念願のブラームスの録音が思わぬ運びでさらに完全な形で残ることとなったことに喜んだ反面、これまで60、70の齢でさえ成し遂げ得るピアニストがいないこの曲集の録音を、84歳のピアニストが果たして自他とも満足できる結果を出せるのか、実際のところやや心配していた。ブラームスの作品76、79、116〜119の30曲のピアノ曲は、ロマン派のみならず、古典派から続くピアニズムの辿り着いた最高峰であることは、識者の一致した知見であろう。しかし、これまでこれらの曲集を録音したピアニストは数えるほどしかいない、その中で核心を突いた演奏はさらに少ない。それは、これらの曲を理解できるまでには、かなりの人生の熟成が必要だが、しかしいざ表現できる境地に達したとピアニストが思った時には、体力と技術が伴わない状態になっていることがほとんどだったのが実態ではないか。つまり、ブラームスのピアノ曲集の録音はピアニストにとって、一歩登れば、さらに数歩先に退く、けっして手の届かない高嶺の美しい花のようなものだ。
ルース・スレンチェンスカ 10代でほとんどのレパートリを手中に収めていたルース・スレンチェンスカでも、驚いたことにブラームスを集中的に取り組むのが実はこれが初めてだったのだ。ほどなく恨み節に近い手紙がニューヨークから届くようになった。──「そもそもあなたがブラームスをリクエストするから、私がまた毎日8時間も練習するはめになったのよ。しかし今私が一番心配しているのは、今度岡山に行ったら、あなたが失望するかもしれないということです。なぜなら、あなたはこの数年間の私の進化を知っているから、もし今度の私の演奏が前よりも下手なら、あなたはきっと失望するでしょう!」

前回の2007年11月のブラームスのレコーディングの時のスレンチェンスカの生みの苦しみをそばで見守った私は、返す言葉もなかった。しかし今回のその時点でも、私はスレンチェンスカが一体さらにどのような高みを目指して苦闘しているのか、想像もできなかった。一年半前の彼女の15曲のブラームスに、私はすでに十分に満足していたのだったが。

結果的には、ほぼ2年半の時間をスレンチェンスカはブラームスのこの30曲のために費やしてきたこととなった。ニューヨークの自宅での練習はこれまでにない過酷なものとなったようだったが、来日前にはわざわざ一度は断っていた国立台北芸術大学の客員教授の招聘を受け、二か月間台湾でブラームスの曲をテーマにレクチャーし、ラスト・コンサート以後公では演奏しないと宣言していたにもかかわらず、学内のコンサートでこれらの曲を演奏するなど、役に立つことならどんなことでもしたというくらいに、スレンチェンスカは今度の録音にまさしく全身全霊の備えで臨んだ。


一年半ぶりに聴く84歳のスレンチェンスカのピアノの音は、ますます若々しく力が漲り、詩情豊かで、しかも個性的なインスピレーションに満ちたものだった。「どのピアニストでも到達できないくらいのブラームスの音楽を残すつもりです。」と、録音の途中に何回も彼女が言った。「一つは、今回のブラームスの演奏に、ラフマニノフ、シュナーベル、バックハウス、ホフマン、コルトーなど、私が受け継いてきたロシア、ドイツとフランスの3つのピアニズムをフルに駆使したということ、一つの流派しか知らないピアニストはそれだけ表現の世界が狭められてしまうということです。」

もちろん、10代までにはこれらの巨匠たちの薫陶を十分に吸収していたスレンチェンスカは、すでに前から独自の流派を作り上げていて、その上、常に「ライバルは最高の自分」、「今日の出来がよければ、明日はもっと良くならなくてはいけない」のモットーを体現してきた彼女は、いまさら諸先輩を引き合いに出すまでもないと私は思うのだが、そのくらい彼女は今回の録音の歴史的な位置を意識し、取り組んだということだ。6月7日岡山に着いた日から私の小ホール(劉生容記念館)で、毎日9時間の練習をし、12日から18日までの昼と夜の二回一日計8時間近いレコーディングは、さらなる緊張感のもとで演奏に臨みたいというスレンチェンスカの希望もあり、これが巨匠の実演に接せれる最後の機会になるとも考え、10数名ほどのファンの立ち会いの中で行われた。

音楽関係者やピアニストが大半を占めていた聴衆一同がもっとも驚いたのは、身長150cmにも満たない84歳の老ピアニストの超人的なエネルギーではなく、スレンチェンスカが一曲を弾き重ねる毎に、瞬時にその曲についての新しいアイデアが生まれ、曲想が深められ、音楽がさらに豊かになって–いったということだ。

レコーディング・エンジニアの吉岡氏、大谷氏、調律師の松本氏の一週間にわたるこれまで同様の献身的な働き、多くのファンの方たちに温かく見守られ、私の家族の支えによって、スレンチェンスカの偉業がまた一つ幸せにつつまれた中で達成されたのだ。

そして、まさにブラームスでさえも知り得なかったブラームスの音楽をスレンチェンスカが紡ぎ出したのだ。 知られざる豊饒なブラームの内面世界の扉が開いたのだ。

ルース・スレンチェンスカの芸術Ⅵ

─ブラームス ピアノ曲集
LIU-1010/11(国内盤CD2枚組)税込定価¥4320
録音
2009年6月12日~14日 劉生容記念館
使用ピアノ
劉生容記念館蔵 1926年製スタインウェイ
演奏
ルース・スレンチェンスカ(ピアノ)
「知られざる”ブラームス・ワールド”への誘い!」

ラスト・コンサートから4年、84歳の伝説の巨匠ルース・スレンチェンスカが自らのピアニズムの集大成として描き出した、優しくも美しい幽玄なる未知のブラームスの内面世界!

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